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井上 大輔

矛盾論の方法を用いて民主主義と資本主義の対立を観察する

アメリカは民主主義が最良の意思決定のシステムと信じ、中東地域の国々を独裁から国民を解放し民主主義の国を建設することを大儀としイラク戦争を続けている。民主主義は権力の暴走を防ぐ為にヨーロッパ人が発明したシステムである。自由や平等、人権といった民主主義を構成する要素は疑いなく価値のある重要なものである。その思想は人々の人間自身に対する認識を変え、人類は精神面で進化を成し遂げることができた。時や場所に関わらず、人間が生まれてきて、これらが保障されていることが各自自己実現する生き方ができることの前提条件であり、権利を持たない人が社会の中で生きる事は困難だ。例えば、北朝鮮の金正日やイラクのフセインの独裁というシステム内に住む人は、自分の事を自分で決めることが出来ず、出来ることはその政権の認可の中に制約されている。日本人であったとしても、一歩その国境をまたぎシステム内に入れば、そこのルールが適応される為、日本では「人を殺したら有罪」という当たり前の事ですら通用しなくなる。システムの実体はゲームのルールの束のような物或いは法律であり、それらはシステム内で行動する人はそのシステムに適応しなければならない為、それは行動に影響を及ぼしている。ルールが異なればすべてが前提から覆される。もし国家が殺人を容認すれば、人を殺しても許される。そこで権力を握っている人間は、よほどの聖人でない限りその権力を自分の利益を増やす為に用いるだろう。だから、出来る限りその影響力を維持したいと考える権力者は、自分の立場を脅かす存在を、権力を最大限に利用し抹殺しようとする。独裁政権下において、その体制を批判するならば、その行動は圧力によって封じ込められるだろう。不条理なことではあるが、命を捨てる覚悟がない限り黙認しなければならない。その上、体制を崩壊させるのに必要な人の数を集めなければならない。このことを考えると、不満が爆発しない限り体制を崩壊させる運動がその内部から起こることは稀で、外部からのなんらかの圧力を加えなければならないだろう。したがって、歴史という長い時間軸から見ると、アメリカが民主主義を建設するという建前を以って戦っているイラク戦争は、何十年と続いたかもしれないフセイン政権を終わらしたことで有意義であったといえる。しかし、民主主義をイラクに根付かせる試みは成功しないだろう。それは多数決の原則という、数が多ければ何でも正しいことになる民主主義のシステムがあるからだ。

イラクにおいて民主主義のシステムを採用するとイスラム教の各宗派の間で対立が生じる。イラクではイスラム教のシーア派(60%)、スンニ派(15%)、クルド人(20%)の3つのグループから構成されている。もし、多数決の原則の下で選挙が行われたとすると、勝つのは過半数を超えるシーア派になる。勝ったシーア派は自分達のグループに有利な政策を施すことができる。たとえスンニ派やクルド人が反対をしたとしても、シーア派の数には勝てない。極端にいえば、シーア派は他のグループの声を無視しながら政治を行うことができる。この多数決の原則を基にする民主主義のシステムにおいては、少数グループの意見は反映されにくいようになっている。「社会的強者の、社会的強者による、社会的強者の為の政治」が行われる。その結果、スンニ派やクルド人は力の不均衡を生み出す不公平なルールを拒否し、それがグループ間における対立を招くだろう。したがって、イラクのような多民族が共存しなくてはならないところでは、多数決ではない集団の意思決定のシステムが求められる。もし世界政府ができた時も、多数決をすれば必ずインド人や中国人の大統領になる。多数決の原則では対立を生むので、違うシステムを使用しなければならないだろう。しかもイラクの人々が、貧富の格差がありマイノリティーの黒人の多くが貧困層に留まるようなアメリカの社会システムを模倣したいとは思わないだろう。

アメリカも多様な文化背景を持つ人々によって構成された社会であり、建国以来アメリカの象徴である自由や平等、アメリカンドリームいった国のイメージが移民達を引きつけてきた。アメリカにはエリートが存在し、そのエリートが強力なリーダーシップをとって社会を引っ張っていくような仕組みであり、企業の経営の方法と同じような考えに基づくものである。企業の経営では、民主的に物事を決めていたのでは決断が遅くなる為、経営者が結果に対して責任を取る代わりに、経営者には決定権が与えられている。人員削減をして経営改善しなければいけない時に、多数決をとると必ず半分以上は反対するだろうし、賛成したときには倒産しているだろう。だから優れたリーダーが独裁的に改革していくことが認められている。企業の経営者が変わることで、会社の業績が良くも悪くもなる。それと同様に、アメリカという国も優れたリーダーが国を引っ張るべきという考え方であり、大統領には軍の指揮権を含む強力な権限が与えられている。この少数の優秀な者がリーダーシップをとるべきだという考え方が国際政治の場に持ち込まれると、アメリカは単独主義行動になるのだろう。それは優れた国が他の後進国を引っ張っていき世界の警察としての役割を果たさなければならないと信じて行動するからである。民主党と共和党の2つの党が毎回選挙時に対立するが、政権の正当が交代するだけで、政策が180度変わりうる。国民が直接大統領を選ぶ仕組みなので、政策と政治家を教育された国民が正しく評価できて民主主義が正常に機能することができるが、大儀なき戦争を続行するアメリカ大統領を再選させるアメリカの民主主義は、暴走しているといえる。多数決の原則で何でも可能となる為、民主主義は独裁という性質を持つ。現在のブッシュ政権は戦時下において国民の思想を管理する愛国法をテロとの戦いという名の下で簡単に作ることができた。そして小泉首相は多くの国民が反対したのにも関わらずイラクへ自衛隊を派遣することができたが、これがもし戦争に行くということであったとしても、恐らく止めることはできないだろう。

多数決の原則が働く選挙に勝つためには、その選挙区に住む多数の人或いは影響力の強いグループの支持を得ることが出来るような政策を立案しなければならない。政策は候補者の商品のようなものであり、その商品を多数に買ってもらい他の候補者よりも票を集めなければ、政治家はただの人になる。例えば、東京の新宿区や江東区といった地域を除いて日本各地では外国人や障害者といったマイノリティーを支援する地味な政治家よりも、大多数の興味である大幅減税という政策を実施する政治家の方が、票を集めやすい。また多数の貧困者が居住する足立区のような地域では、共産党の「経営者の搾取は許さない。格差のない、平等な社会を!」という思想がその人々の間で受け入れられ易いだろう。政治家は市場シェアを増やそうとする企業の経営者、信者を増やそうとする宗教の教祖と似た行動の性質を持つようになる。もし選挙のときに規制がなければ、メディアを使っての宣伝や無料配布或いは口コミによる信者獲得などあらゆる手が使われ競争が行われるだろう。資金の蓄えが充分ある政党や候補者が有利になる。受験のシステムの中では点数をとるテクニックが重視され、本当の勉強がされにくいように、或いはビジネスの中で高齢者向けの介護商品や環境に良い商品といった必要とされている商品が儲からない為に最近まで技術があったのに開発されなかったように、多数決の原則がある限り、真のニーズを政策にする政治でなく、ただ人数を集めようとする二義的な政治が行われる。戦後の政官財の癒着の構造に見られるような、政治である。

       この「数が多ければ勝つ」という性質をもつ民主主義と資本主義が結びついた時に、資本主義は民主主義を飲み込む。資本主義社会の中の民主主義では社会的弱者の権利は強者によって搾取される。例えば、規制が少なく自由な競争が行われるアメリカでは持つものと持たないものが鮮明に分かれ、その差は広がるばかりである。富裕層と貧困層との住み分けが顕著に行われて、地域ごとに教育を含む受けられるサービスの格差が大きい。アメリカは生まれながらにして、格差のある不平等な社会であり、与えられている機会も平等でない。そのような社会だが、1964年の市民権法以来は等しく人種・宗教・性別・出身国で差別されず権利を与えると憲法に明記されている。もし資本主義が富を増やすゲームだとすると、必ず所有権が認められていていることが必要なように、もし民主主義も数を増やすゲームだとすると、必ず国民すべてに選挙権が与えられていることで、ゲームに参加できる。与えられている権利を行使して自らの声を政治に反映させるには、投票しなければならないが、投票してもその政治家が当選しなければ声は反映されない。自分の一票が何の影響を及ぼさないと分かると、人は政治に対して無関心になり、投票へは行かなくなるだろう。自分の一票は無視され、多数に飲み込まれる。例えば、イラク戦争に反対したアメリカ国民が半分近くいたとして、賛成した国民が過半数以上いる。すると、国民半分の近くの声は無視され、「イラク戦争へ行く。」というのが巨大な国アメリカでのひとつの決定になる。人口が3億人だとすると、1億人の声は無視されてしまうが、彼らはその決定に従わなければならない。そして彼達の支払う税金が軍事費に使われ、間接的にイラクの人を殺すことになる。彼らの税金が彼らの意思とは全く別のところで、使われる。

さらに本質的な問題は、情報を持っているものと持っていないもの或いはノウハウを知っている人と知らない人が主に社会階層によって分かれてしまう事である。自分が不公平な立場に置かれていることを認識し知らなければ、その不公平を訴えるという行動を起こすことはできない。例えば、政府が悪事を働いていたとしても、もしそれを知らなければ感情が生じることなく、変化を求める行動が出てこない。普通なら「こうあるべきだ」という考えがあるから、それを知れば怒り現実に働きかけて変えるだろう。政府を監視する役割を担うべきなのがテレビや新聞といったメディアであるが、メディアは広告主に依存し、報道する人の視点で選ばれたニュースが報道され客観的な報道ではないことが常だ。メディアは多数の視聴者の興味を惹くニュースを配信するが、それが世論を形成する。だから9.11を政府が自作自演したという説があるが、嘘を突き通せば皆が「アルカイダの犯行」とニュースを通して信じることになるので、理論的には可能だ。それと同様に、ケネディー大統領の暗殺を政府が実行した説やアポロの月面着陸はなかったという説も、事実を証明することはできないが理論的に可能だ。メディアは企業と、企業は政治家との関係がある。メディアを握っている者が、権力者になりうるし、独裁的な政府は戦争下でのメディアの自由な報道を恐れ制御しようとする。たとえ嘘の情報であっても、人は情報を内に取り入れることで自分の世界を構築するが、少数グループはその「知る」という行為の機会をどこかで奪われている。多数の人にとっては必要のない価値のない情報であっても、ある一人の人にとっては重大な意味を持つ情報かもしれない。

しかしアメリカに不公平なシステムがあると知っていても、お金のない弱者にとってはその相手が大きすぎて変えることができないのかもしれない。例えば、もし貧しい家庭の黒人かヒスパニックとしてアメリカに生まれるとする。アメリカでは経済的に豊かな人は郊外に住み、貧しい人はダウンタウンの近くに住む。そこはドラッグやギャングなど教育環境は良くない。自分の親や友達の親はマクドナルドや他のアルバイトのような仕事をして生活費を稼いでいる。学校へは行きながら、毎日生活費を稼ぐために1時間7$のバイトをしなければならない。病気になった。医療保険に入っていないから莫大な医療費を支払わなければならない。犯罪を犯していないのに現場の近くにいただけで逮捕される。陪審員は半分以上が白人で、有罪と判決を下された。

成績が上がらず、奨学金も支給されず、学費の安い町の大学へ進学する。しかし卒業しても仕事が見つからず、「軍隊募集」の看板を見つけ入隊する。横浜の横須賀基地に送られる。ブッシュ大統領がイラク戦争をはじめ、命令でイラクへ派遣される。このような人生を送る人が現実にも数多くいるだろう。貧困は循環していて、どこかでその輪を断ち切らなければならないだろう。しかしながら、毎日の生活を生き抜くのに精一杯の人が政治活動に参加できるとは考えられない。あることを知っているか知らないかという微小の差が、後で大きな違いを生じさせることになる。恐らくアメリカ国内にある貧困とアフリカの中にある貧困は同じような構造から起こっているのかもしれない。日本にも東京に人・情報・物・金が東京に集まるような仕組みがあり、地方は中央の官僚によって間接的にコントロールされていたように、アメリカに人・情報・物・金が集まるような仕組み(ドルが基軸通貨)がありアメリカの地方であるアフリカ、東南アジア、南アメリカを間接的にコントロールできたのだろう。

 もし経済における地位が政治によって決定されるのならば、黒人はマイノリティーであり続ける間、低所得者であり続けなければならない。民主主義は資本主義と結びついた時に、少数の利益の為の政治が行われ、本当に助けを必要としている人は無視される。すべては多数決の原則によって、正当化される。常に多いことが正しいことになる。日本の場合は、戦後中央政府の規制と公平な分配によって階級の格差は米国に比べ小さく抑えられ、1億人のミドルクラスが作り出された。年功序列制は社会主義のソ連から得たアイディアである。多数の政党が存在したが圧倒的に自民党支持者が数で上回った。地方と都市との対立を自民党が税金を使い解決していた為、自民党の支持を広げることができた。恐らく民主党が選挙で勝とうとするならば、自民党とほぼ同じような政策を実施して、農村の支持と資本家の支持を得なければならないだろう。そうすることによって選挙で確実に過半数以上を得ることができる。さらに、議院内閣制というシステムにおいて内閣総理大臣は勝利した政党の中から選ばれる。だから自民党は議院だけでなく政府も乗っ取ることができる。つまり独裁が起こることになる。人々の思想と政党の政策が一致したときに、その政党は支持を獲得する。考え方が政党に反映されていることになる。戦後の日本に複数の政党が存在したということは、米国のように共和党と民主党と白と黒の2つしかない考え方でなく、日本国内の中に様々な考え方があり共存していたということではないだろうか。政治は、簡単に白黒で割り切れるものでないだろう。多様なグループが幾つも存在しているのだから、その数だけ政党があるのが普通なのではないだろうか。そしてそのグループのニーズを満たしていくのが政治だろう。市民が自発的に活動をするNPOがあって、それぞれの活動同士がネットワークを作り繋がり問題を解決していくのも政治である。民主主義は必ず対立を生む仕組みであり永遠に対立が続く。したがって、すべてのグループのニーズが満たされることはない。

もしすべての人々が所有権を持たない社会主義の国で、「多数決の原則を除いた」民主主義が採用されていたのならば、民主主義は正常に機能するだろうか。「資本家の搾取をなくす」「平等な社会を作る」「資本主義に競い勝つ」という目的でソ連は社会主義として建国された。アメリカは共産主義を悪といって非難していたが、社会主義は共産主義と別物であって、悪といわれる理念で決してない。発展段階であり、すべての資源を集めて政府が計画的に分配する方法を取らなければならなかった。したがって「誰に分配するか」を決めるのに民主的な多数決ではなく一人の人間の判断に委ねた。社会主義という経済システムが独裁という政治システムと結びついた。この方法は優れたリーダーが引っ張っていくならば短時間の間で目的を達成できる最も効率的なシステムであるが、同時に権力が一人に集中するので権力が悪用される可能性が高い。事実、1960年頃までアメリカよりもソ連の方が生産力や科学の分野で優れていたし、ソ連では権力が悪用された。ある一定の段階で独裁から民主主義に移行していれば、ソ連は崩壊することなく発展を続け成功できただろう。この場合の民主主義とは、情報の共有をするという意味の民主主義である。まずは情報の共有による権力の監視だ。情報が共有され、権力を持っているものが権力を悪用していないか国民が監視する。もし権力を悪用しているならば、そのことが国民に伝わりその権力者は罰せられる。これが逆に権力者が国民を監視する事になった為、権力が暴走した。次に「誰がどこで何をどれくらいの量を必要している」という情報の共有だ。その情報が工場で生産する人に伝わらなかった結果、無駄が生じ不効率となった。「必要でない物」の供給が需要を上回り物余りになり、同時に「必要な物」の供給が需要を下回り物不足が生じる。これにより、資源の効率的配分が行われなくなり、「必要でない物」を必要とする人はその利益を受け取り、ここに格差が生じた。したがって、完全な情報の共有により「必要な物だけを必要な分だけ作り出す」システムが出来上がっていれば無駄なく資源の配分が達成できただろう。恐らくこれ以外にも崩壊に至った原因があるだろうが、情報の共有が最も大切な要因だったといえる。もし多数決の原則がなければ、システム的な対立を生むことがないので、協力を主な原則として複雑系の社会が成り立っていくだろう。民主主義は社会主義の国の中で機能できるだろう。

社会主義と民主主義がうまく機能し始めたのが、インターネットの中の世界である。大前研一氏はこれを「見えない大陸」と呼んでいるが、イメージとしてはそこにシムシティーという自分の好きなように国を作って発展させていくシミュレーションゲームの国が建設されている。仮想の空間であるが、現実の世界にも働きかけている。私たちが現実の世界で接しているのは、視・聴・触・味・臭覚を通した情報である。感覚が言語に置き換えられることによって、情報化されている。ウェブ上には国境がない為、情報は時間や場所に縛られることなく瞬時に伝わる。ヨーロッパ人がアメリカ大陸に渡っていったように、そこに世界中の国からその大陸に渡っていっている人がいる。その先頭を切って冒険しているのは、世界中の情報を整理しようとしているグーグルという会社である。この会社がその見えない大陸の国における秩序を作り出し、その大陸の政府のような役割を果たそうとしている。そこには60億人の人が生活できるスペースがあり、いくら使っても減らないという情報の性質から、搾取もなく物質的な格差はないだろう。自分の必要としている情報を入力すれば、それに対応する情報を探しだせることができ、地球上の需要と供給を完全に一致させることができるだろう。FedExが世界中のどこへでも物を配達するように、インターネットは助けを提供する人から助けを受ける人までを繋ぐことができるだろう。グーグルが多数決の原則を採用し続けないのならば、少数の人々の権利は搾取されずすべての人のニーズが満たされるシステムとなるだろう。ウェブ上の空間に理想の国を作り上げることが可能になる。よってその国のルールをすべて独裁的に作ることのできるグーグルの技術者たちは、既存のメディアや国と比較できないほどの大きな権力を持つことになる。これからアメリカ政府は、以前のソビエトとの冷戦の時の構図のようにグーグルと対立していくだろう。グーグルは中国国内では中国政府の検閲に協力しているが、アメリカにおいては政府からユーザーの検索状況の情報を提供するように要求されていても、拒否している。現実の世界にあるアメリカ政府は、その見えない大陸でもその影響力を及ぼそうと情報を管理するための法律を作り上げようとしていている。これは過去にイギリスが新大陸における影響力を及ぼす為に、税金をアメリカに科したようなものだ。その結果、起こったのがイギリスとアメリカの間の独立戦争だった。この時、アメリカの精神を形作るトーマスジェファーソンが起草した独立宣言が発表された。これと同様に、グーグルはインターネットの可能性を最大限に高めるために旧大陸のアメリカ政府の監視下から離れて、自由に新しい大陸の国を作り発展させていくべきだろう。グーグルを含めヤフーや他のインターネットに関わる企業は結集してアメリカ政府と戦っていくべきだろう。その為に、旧大陸からの独立を世界に向けて宣言するべきではないだろうか。この新大陸の見えない国では勝手に政府公認の金とは異なる独自の通貨を発行することも可能である。もしアメリカ政府との対立が激しくなり、アメリカ国内留まることができなくなれば、彼たちが逃げることができるのは、カリフォルニアの対岸インフラが整っている日本ではないだろうか。したがって、日本政府は彼らが既存の国の政治や経済システムの枠組みの中に捉われず比較的自由に「世界中の情報を整理できる環境」を地域特区という形で保障すべきである。するとインターネット・情報技術が従来の社会の経済システム、政治システム、歴史の発展を変えていくだろう。最も良いと地位特区を設置すればよいと思われるのは関西地方で、かつて奈良時代に韓国・中国のアジアからだけではなくシルクロードを通り中東・ヨーロッパとも繋がって文化が伝わってきたように、インターネットを使うとその頃とは逆に西から東に文化を伝えることができる。

シリコンバレーのあるカリフォルニア州はアメリカ連邦から離脱して一つの独立国家として成り立つことができる。2004年の統計ではカリフォルニア州の総生産高がアメリカ国民総生産高の約13%を占めているし、必要な物は対岸の中国から輸入することができる。元々は、アメリカという国が建国される前は権力の暴走を恐れ州が自治をしていたし、カルフォルニアという土地も元はスペインの領地だった。もしカリフォルニア州で革命を起こし地域国家として独立する方法があるとするならば、それは民主主義の多数決の原則を利用することだろう。11月に州知事選挙があるが、現州知事シュワルツネッガー氏の再選は危ぶまれている。再選するためには、多数の支持を得なければならない。この州ではメキシコからの違法移民が増えており、ヒスパニックは黒人よりもメジャーリティーになりつつある。メキシコからの移民の優遇政策をとることを公約に入れれば、ヒスパニック系から票を集めることができる。さらに違法移民にも選挙権を与える政策や黒人、金持ちばかりが金持ちになる社会に不満を持っている人をターゲットにした政策を公約に入れれば、さらに支持の票を獲得できる。そうすることにより、現職州知事は再選し独裁的な法案を作れる。近いうちにグーグル問題を巡り州政府と連邦政府の対立が生じるだろう。カリフォルニア州がグーグルの味方につくならば、カリフォルニア州はアメリカ政府と対立するだろうし、カリフォルニア州がアメリカ政府の側に立ちグーグルに規制を加えるならば、グーグルはカリフォルニア州とアメリカ政府と対立しなければならない。州がとる立場によって、グーグルの戦略起点がシリコンバレーであり続けるか日本へ移るかが決まってくるだろう。グーグル国世界政府大統領に、映画界出身のシュワルツネッガー氏がなるのも面白い。なぜならば、ハリウッド映画は仮想の世界でありインターネットの世界も仮想の世界であり、彼は仮想の世界で本当の役を演じることができるからだ。現在の世界の固定化したアメリカの社会構造が変わるには、何らかの変化が必要だろう。

 これまでの歴史は弁証法的に発展してきた。対立が歴史を発展させる推進力だった。民主主義も対立を生むので歴史を発展させる推進力だった。フランシスフクヤマ氏が「冷戦が終結しこれ以上、対立が起こらない」という仮説から「対立がなければ、歴史は発展しない。」と予測し「歴史は終焉した」という結論を導いた。しかし対立の他に歴史を発展させる要因があり、それは対立の反対の意味である調和による発展だろう。だから正しくは「弁証法的に発展する歴史は終焉した」といえる。日本では過去に戦国時代から江戸時代に変わるときに、豊臣家は滅び徳川家が統一し一度弁証法的な歴史は終焉しており、江戸時代に調和による発展が300年続いた。調和による発展が起こるためにはいくつかの条件が整わなければならない。それは人々が「違う」という意識から「同じ」という意識を持つことである。「国、宗教、言葉が違っても同じ地球に住む同じ人間である。そして発展向上するという同じ目的を持っている。だから争う必要はなく、協力すればよい。」という考えに60億人の人が達すれば、対立はなくなり協力による発展が起こりそれで後は自然の流れのように「なるようになる」だろう。今の地球が面している環境問題やエネルギー問題は、映画アルマゲドンのように地球に巨大な隕石が近づいていてそれを止めなければ人類が滅亡するという状況と似ており、そのような状況で争っても仕方がないだろう。弁証法的な発展から、調和による発展に移行するとき、人々の間では物質的な欲から精神的な欲への転換が起こり、文化が育まれるだろう。したがって、21世紀は文明の異なるところで衝突が引き起こされる「文明の衝突」ではなくて異なる文明が組み合わされて新しい文明が生み出される「文明の創造」の時代になるだろう。


 参考文献

  • 晝馬 輝夫、「できない」と言わずにやってみろ!―人類には「知らないこと」「できないこと」がいっぱいある
  • 中村天風、「成功の実現」

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    (EX) Lynch, Tim. "DSN Trials and Tribble-ations Review." Psi Phi: Bradley's Science Fiction Club. 1996. Bradley University. 8 Oct. 1997 .

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